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ボタニック・ラバーズ

キルギス 標高約3800mの世界 神の領域に恐る恐るお邪魔した。

甘草屋敷@枯露柿の里のんびり歩き1

少々、前の話題になりますが、11月18日、ボタラバさんぽ部14人で、枯露柿(ころがき)を見に山梨県塩山へ行ってきました。

塩山駅北口を出ると、沢山の干し柿が吊るされている大きな建物が目に飛び込んできました。

ほー、いいね♪ 

それは甘草屋敷といわれる旧高野家住宅。

見たことの無い独特な建て方です。切妻屋根の前面上部に2段の突き上げ屋根があるのが特徴で、甲州民家と呼ばれるこの地方特有の建築なのだそうです。

高野家はこの地で長百姓(おさびゃくしょう)を務めた家柄で、代々「伊兵衛」を名乗り、幕末には名主として苗字帯刀が許されていたそうで江戸幕府に納める甘草を栽培していたことから、甘草屋敷と呼ばれています。

何も知らない私は、「あまくさ屋敷」とか最初言ってて、あー、そうなのね! 私がいつもお世話になっているツムラの68番(芍薬甘草湯)の甘草を作ってたのね!~と、やっと納得して、「かんぞう」と呼べるようになった次第です^^ 
お恥ずかしい!

 

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3段の障子戸に干し柿が吊るされている風情が素敵です。

ちなみに、お馴染みツムラ68番はこちらですよね。

山歩きの人達の間では、無くてはならぬものです^^  特に私には・・・

足がつった時に飲む即効薬です。

 

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高野家は江戸時代初期頃より薬草である甘草の栽培を始め、八代将軍徳川吉宗が治世の享保5年(1720年)、徳川幕府の採薬師であった丹羽正伯により同屋敷内の甘草を検分され、その結果幕府御用として栽培と管理が命ぜられた。一反十九歩の甘草園は年貢諸役を免除され、その後同家が栽培する甘草は、幕府官営の小石川御薬園で栽培するための補給源となり、また薬種として幕府へ上納を行った。これらにより高野家は古くから「甘草屋敷」と呼ばれてきた。 と、ウイキペディアには書かれています。

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屋敷内から、干し柿を写すと素敵♪

 

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↑ chiaki撮影

明暗が凄く素敵に表れてていいですね♪ パチパチパチ!!!

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甘草茶をごちそうになりました。

 

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甘草栽培の写真なども置いてあって・・・

初めて知りました。

甘草ってマメ科なんですね。

 

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確かに、マメ科の花ですね。

 

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これなんですね。

ここで、飲んだお茶はこんなでした。

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よくお世話になっている甘草ぐらいは知ってなくちゃ!ですものね。勉強になりました。

 

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甘草屋敷の干し柿は、多くのボランティアさんによって作られているそうです。大変でしょうが、心なごむ風景を、これからも多くの人に伝えて欲しいです。

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さあ、先は長いから急ぎましょう!

タクシーで、次の向嶽寺へと向かいました。

 

では

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