幸せな満腹感とともに後半を歩き始めました。
次に目指すのは、砲台山。
正式には大塚山というらしいのですが、このハイキングルートでは一番標高が高い場所で、そのため昭和初期には海軍が砲台を置いた場所です。
武山に行くルートを少し右にそれて寄り道します。
これが砲台跡
すり鉢の中央には、かつては高角砲が据えられていて、側面の8個の四角い穴は、弾薬の格納庫と思われます。
横には、金網で囲まれた海上保安庁の武山受信所があって、パラボラアンテナがそびえ、この地域の警備の要衝になっています。
なんとなく、現実を感じて、ほーーという思いです。
さあ、次は武山。道の脇の植物を見ながら進みます。
途中、サルトリイバラを発見。いつものごとく、関東では柏の葉を葉を使うけど、関西ではサルトリイバラの葉2枚で代用するのよ、などと話が弾みます。
halさんやたか女さんによると、バラッパモチともいうそうです。いつも思います。違う世界で育ったんだなーと^^ ちっちゃな日本でも、東西じゃ、ずいぶんと文化が違う。。。東京って、やっぱり関東や東北で育った人が多いですね。口には出さねど、違和感を覚えることしばしばです。それが面白さでもあるんですがね~~^^
そこで、ちょっと柏餅のことを調べてみたら、なななんと!面白い記事を発見。またゆっくりと書きますね。サルトリイバラを使う方が主流で、柏の葉は代用として使われたんだそうですよ。へーー!!!でした^^
↑ サルトリイバラの葉を使ってある柏餅。上新粉で作るものが多いかな?
さあ、ほどよい歩きで、最後の階段を頑張れば、武山に到着です。
武山には展望台があって、360度の見晴らしが素晴らしいです。私は、今から行くいちご狩りの事務所に電話してたら、景色を見なかった~~苦笑。ま、いいか!前に見たし、三浦富士の山頂から見たから。。。
それより、ボタラバ登山部いつも気持ちの良い山行をさせて頂いて有難うございます。と、新年初のお礼を言わなくちゃ!
山頂にある武山不動尊にお参りしました。
時代を感じさせられる素朴な彫りの彫刻が印象的な本堂でした。
私がとても気になり、分からなかったのは、真ん中に立っている長い木のお札。
お塔婆(卒塔婆)のような感じでもある。
どうして、ど真ん中に???
お不動様を真っ二つに切ってるなぁ~??? それともど真ん中に立てるという意味かなぁ??? どういう位置になるんだろう??? どういう意味を持つのかな???
関東地方では、とくに不動明王に対する信仰が特に盛んです。日野の高原不動・成田山新勝寺の成田不動が有名ですよね。
江戸時代に江戸を守る意味で造営された、目青:目赤・目白・目黒・目黄不動等は、現在でも目白、目黒という地名として残ってますね。
卒塔婆はもともと古代インドの言葉で『ストゥーパ』という言葉がありますよね。これからきています。私は小さい頃から、どうも卒塔婆を見るのが苦手でした。なんだかおオドロオドロシイ感じでね。
でも、本当はとても深い意味を持っ板なんですね。
ストゥーパは、仏塔とか仏舎利塔で、お釈迦さまの遺骨を納めた塔のことですが、日本のお寺でよく見ることのできる五重塔の起源と言われています。そして、五輪塔はその五重塔が起源で、現在では、卒塔婆というと、長さ1~2mほどの『板塔婆』のことを指しますが、つまりそのかたちは五輪塔がもとになってできたものなんですって。
不動尊とは不動明王の尊称。明王とは密教系の仏神で、悪魔を撃退する「仏の知恵(真言)を身につけた偉大な人」という意味。
中心的役割を担う5名の明王の、そのまた中心となっているのが不動明王です。
こういう機会にちょっと調べてみると、楽しいですね。武山不動院を思い出す想いが違ってきますね。1月28日には初不動があって、その時にご本尊の不動明王が御開帳されるそうです。
特に、武山不動尊は、航海安全の浪切不動として広く知られ、漁業関係者から厚く信仰されています。沿岸漁業者にとっては、この山頂が漁場を定める基準として、あるいは、港の方向を知る標準として欠かすことのできないお山であったことも信仰を深めた一因と思われます。
武山の不動尊と親しまれているこの寺院の正式名称は、浄土宗龍塚山持経寺武山不動院です。
ここに安置される不動尊は、後小松天皇の御代、応永四年(1397)に奈良東大寺の沙門万務大阿闍利(しゃもんまんむだいあじゃり)が、諸国行脚の途中に、現在の南武にあった持経院に立ち寄り、高さ三尺九寸(約117センチメートル)の不動尊を彫刻して本尊としたものです。
その後、修験僧讃与見随(さんよげんずい)が、この山頂に移したと伝えられています。
さあ、いちご狩りに行かねば!
下りますよ~~
武山山頂そばのこの看板から下へ降ります。
下りる途中にいちご狩りを楽しむ「津久井浜観光農園」があるはずです。
では
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