湯島聖堂の孔子廟・大成殿から階段を下りていくと、孔子の像が建っていました。
この湯島聖堂の孔子像は、世界で一番背が高い孔子像で、台湾ライオンズクラブから寄贈されたものだそうです。なのに、私達はそばに立っている大木ばかり見て、孔子様には近づきもしなかった~笑
この左側の木が、孔子廟には必ずあると言われる「カイノキ」(楷木)
カイノキのカイは・・・楷書の楷。
楷書とは、手書きで書く漢字の書体で一点一画を正確に書く書体のこと。楷書という言葉はこのカイノキが語源なのだそうです。
何故か。それはこの写真で、ほんの少し、感じて貰えるでしょうか?
なんだか枝ぶりが、角、角してませんか? 枝が直角に出るのだそうです。
見事な木です。
今は葉がなくて寂しいけれど、角、角しているのはよくわかる冬のカイノキでした^^
もうひとつ、今は見れないけれど、葉っぱの出方も整然としているのです。
偶数羽状複葉なんです。
葉っぱがいっぱい出ている時のこの木の写真はこちらを参考にさせて頂きましょう。
https://murauchi.muragon.com/entry/1050.html
カイノキがなぜ孔子廟に植えられるようになったかは、こちらの記事が素晴らしいです。ぜひ読んでみて下さい。
サカタのタネの東アジア植物記→https://sakata-tsushin.com/yomimono/rensai/standard/eastasiaplants/20170613_005529.html
孔子廟とは、
中国,山東省曲阜(きよくふ)にある孔子をまつる大聖堂のこと。文廟,孔廟ともいう。儒教の総本山。孔子が没した翌年(前478),魯の哀公が孔子の旧居を廟に改築し,定期的にまつりをとり行ったのがその始まりといわれる。漢代以降,儒教が国教となり孔子の地位が高まるにしたがい,歴代皇帝の手厚い庇護と崇敬を受け,その規模はいよいよ増大していった。清朝にいたるまで増改築は30余回におよぶ。総面積は約22万m2。日本でも、奈良・平安時代には大学・国学に造られ、江戸時代には江戸湯島など各地に造られた。(平凡社大百科事典より)
分かったように言ってちゃだめですね。
私も今やっとすっきりとしました^^
中国原産のこの木が、わが国に持ってこられたのは,大正四年,農商務省林業試験場長の白澤保美博士が、孔子墓所のカイノキの種子を拾って帰って、播種育苗したのが最初だそうです。
この湯島聖堂のカイノキは、まさにその子供であることで、正真正銘の聖木と大切にされています。
足利学校、湯島聖堂、閑谷学校(岡山県)、多久聖廟(佐賀県)などにも植えられ、現存してるようです。
楷樹の由来
楷 かい 学名 とねりばはぜのき うるし科
PISTACIA CHINENSIS. BUNGE
楷は曲阜にある孔子の墓所に植えられている名木で初め子貢が植えたと伝えられ 今日まで植えつがれてきている 枝や葉が整然としているので、書道でいう楷書の語源ともなったといわれている。
わが国に渡来したのは 大正四年 林学博士 白澤保美氏が曲阜から種子を持ち帰り 東京目黒の農商務省林業試験場で苗に仕立てたのが最初である。これらの苗は当聖廟をはじめ儒学に関係深い所に頒ち植えられた その後も数氏が持ち帰って苗を作ったが性来雌雄異株であるうえ 花が咲くまでに三十年位もかかるため わが国で種子を得ることはできなかったが 幸いにして数年前から二三個所で結実を見るに至ったので 今後は次第に孫苗がふえてゆくと思われる。
中国では殆んど全土に生育し 黄連木黄連茶その他の別名も多く 秋の黄葉が美しいという台湾では爛心木と呼ばれている 牧野富太郎博士はこれに孔子木と命名された
孔子と楷とは離すことができないものとなっているが 特に当廟にあるものは曲阜の樹の正子に当る聖木であることをここに記して世に伝える。
昭和四十四年己酉秋日 矢野一郎 文
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今日はカイノキでした。私も孔子廟&カイノキで覚えます。
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明日はボタラバティータイムです。
どうぞ、温かくしていらして下さい。お待ちしています。どこに何時に行くんだっけ?というかたは下をご覧下さい。
http://botaniclovers.hatenablog.com/entry/2018/12/29/124211
では
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