西吾妻山、西大顚に登った翌日、さすがに雨です。
でも台風の割にはさほどの雨でも無いので、宿泊の磐梯リゾートホテルから山形方面へと向かいました。
喜多方を抜け、飯豊山大杉登山口辺りも通り過ぎ、何処まで行くの〜?
2時間ほど走り辿り着いたのが黒沢峠。
山形県小国町に来ちゃいました!って、言ってもどこか分からないかな?米沢の近くです^^
黒沢峠敷石道に到着
歴史の道100選 越後街道13峠
大永元年(1521)(500年前ですね。)伊達稙宗が大里峠を開き、越後街道十三峠が整備された。
黒沢峠はその1つ。
峠道の悪路を改良するため、天保10年から慶応3年までの10年余りをかけ敷石工事が行われたが、長い年月の間に土に埋もれてしまっていた石畳を、昭和55年、地元住民らが発掘し、保存会の力で維持してきているのだそうです。
江戸時代に出来た石畳なのね。
まるで熊野古道
この街道は、イギリスの旅行家イザベラ・バード、良寛、原敬、十返舎一九、伊達政宗等の多くの著名人も往来した歴史があり、現在もバードを慕って全国から多くの人々が黒沢峠を訪れているのだそうです。
歴史の重みを漂わせる苔むした石畳は想像以上に素敵でした。ニイケンさん、有難う。思ってもいない場所に来れました。
あはは、だけど・・・雨の日にはなんと!よく滑るわ~
注意注意!昔は草鞋だったんだよね、草鞋の方がきっと滑らないなーなんて思いつつ、引け腰で歩いておりました^^
ブナ林がなんて素敵なこと!薄日に透けて、まるで新緑のブナ林のよう。紅葉にはちと早いけど、いい緑!
そういえば、イザベラバード。凄いですよね。
彼女もここを歩いたんだよねー。きっと馬に乗って・・・きっとスカート履いて・・・きっとお馬には横座りだったのかな~?まさかスカートじゃあるまい。
イザベラ・バードとは
イザベラ・バードは1831年、イングランド北部ヨークシャーのバラブリッジに牧師の2人娘の長女として生まれた。54年から亡くなる3年前の1901年まで海外の旅を重ね、その舞台は南米以外の全大陸に及んだ。期間の長さ、世界の広がり、そして、旅に基づく作品にとどまらない膨大な著作や講演活動を総合的に判断すれば、女性という枠をはめずとも旅行家の頂点に位置する一人と評価できる。1891年に王立地理学協会特別会員の栄に女性で初めて浴したのはその証しの一つである。希代の旅行家バードへと展開する基点が、78(明治11)年の日本の旅とその記録だった。
興味ある方は↓をどうぞ
イザベラ・バード:鋭い観察力で日本の実相を記録した希代の旅行家 | nippon.com
面白そうだから読んでみようかな。
↓ この動画も参考に♪
歩いていると、ニイケンさんが大声を!
やった~~
何々??? というところで明日!
登頂NO270 黒沢峠426m\(^_^)/
ここも立派なピークだよ!とニイケンガイド公認のピークとなったので~
今年中には300行けるぞ!!!
と言いつつ、今日は西大巓の時にふくらはぎが攣りまくり、無理した御御足がやばい~~私の脚さん、ありがとう。早く調子戻してね!と呟いてます。
では
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