2014年9月9日の記事です。過去の別ブログの記事をこのブログに移動してまとめています。
この旅の目的である青いケシの学名はメコノプシス・アクレアタ(Meconopsis aculeata Royle)
この青いケシを簡単に説明すると・・・なんて、偉そうに書きますが、全然知識なしで訪れたインドだったので、今頃になって学んで、へー、そうだったの~なんて思いながら書いてます。何にも知らないで行ったの? はーい、お恥ずかしい! ですが、ご縁で繋がっていたから行けたんですものね。ご縁を作れたのも自分の力。自信を持とうっと!(笑)
でも、知らないとはいえ、どんな青いケシかはちゃんと写真を見て興味を持っていきました。
この青いケシ、まず、4枚の花弁が好き。あまり花弁の数は多くないほうが楚々としてていい。そして、なんといっても気に入ったのは、葉の切れ込み。そして、ほどよく棘がある。
とても柔らかい印象を受けたんです。なので、見たい~行こう!となった訳です。
簡単に説明しますと・・・
大場秀章先生の「ヒマラヤの青いケシ」と言う本の中に次のように書かれていました。(この本、写真はお世話になった旅行会社アルパインツアー・ネイチャリングの富山稔さんの写真です。)
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1834年、イギリス人のロイル(John Forbes Royle)によって、西ヒマラヤでメコノプシス属の植物が発見されました。それが、このメコノプシス・アクレアタでした。なので、学名の最後にRoyleという名前がついています。
計算してみると、今から、180年前のことです。
日本はそのころ、どんなだったか・・・(1834年 (水野忠邦)が老中となる。41年の大御所家斉の死をもって天保の改革を始めるとなってます。)当時、東インド会社はインドに住むイギリス人の憩いのために、インド各地に植物園を作っていましたが、その一つであるウッタル・プラデッシュ州の植物園の園長をしていたのがロイルです。彼は帰国後、十数年かけたインド&ヒマラヤでの研究の結果を40年かけてまとめ、「ヒマラヤ植物図説」という本を出版しました。
その本の中で、ロイルが記載したのが、メコノプシス・アクレアタという学名です。
当時、メコノプシスを独立した属とするかどうか、様々な意見があったようですが、ロイルはこの学名を記載しメコノプシスという属の独立を認める立場をとったのでした。
ちなみに、ケシというとすぐにアヘンとかをイメージしますが、属名のメコノプシスMeconopsis は「ケシに似た」という意味のギリシャ語で、ケシ科ケシ属の植物とはまったく違います。良く名前とかで、~モドキとかいうでしょ?!要するにケシモドキですね。
ケシ属とは多くの共通する特徴を有するが、花柱が明瞭に認められる点により区別されると、ウイキペディアに書いてありました。
確かに 柱頭が飛び出していて花柱が目立ちます。
ケシ属のケシの写真はないかな・・・?
オリエンタルポピーなら・・・
ええい、こんなのしかないけど、ちょうど大きいからいいかな? よくわからんけど・・・花柱は見えづらくはあるような・・・笑 きっと花柱は短い!ことにしましょう。
そして、このアクレアタ種の分布は西ヒマラヤのみ。西ヒマラヤに行かないと見られない。なので、なので、北西インドヒマラヤまで行ってきたという訳です。
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さっきまで雨が降っていたパンギー谷。青いケシ、メコノプシス・アクレアタはまだ雨でびっしょり。。。
雨に打たれながらも、しゃきっと立ち上がっていました。
花弁に光が透けて綺麗です。
この子は一番上の花が咲いたばかりのフレッシュな子でした。
ちょっと
覗き込んでみてみますか?
おしべの花糸が紫で綺麗~
花弁が青いと、花糸も濃い青でこれまた綺麗です。
この青いケシはこんな環境に咲いてました。高度約3400mです。
葉や茎の棘は動物から身を守る防御のためですね。
専門的なことや難しいことは書けないけれど、写真を載せることは出来ます。
こうやって大きくすると、じっくり見てもらえるかな?
ここは牧草地でもあるので、牛やヤギの糞がたくさん。これを踏まないように歩くのがちょっと大変でした。写真撮る時も気を使わなくちゃなりません。言ってみれば糞だらけ~
そばの家では糞を干してました。
マキの代わりにするのだそうです。
匂いになれない私は駄目だわ~
花もたくさん見たけど、糞もたくさん見た~苦笑
最後に、民家の近くまで戻ったとき、家のそばにも数本の青いケシが咲いていました。
そのそばに、久しぶりにこの色の青い色のケシが咲いていて、
最後に締めくくりに見るには、最適な青いケシでした。
メコノプシス・アクレアタ、想像を遥かに超えた魅力のある花でした。
帰ってきて、そろそろ一ヶ月半が経ち、とても恋しくなっています♪
また会いたいな。
では
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